今度、私が理事長をしている、日本の(社)日本スリランカ教育協会とスリランカのSENEHASA財団の歌として、下記のようなものをつくってみました。近く作曲されてCDになります。ご購入を検討ください。

いつでも口ずさめ 生き方の指針となり 心が元気になり 晴れやかさで満たされるような歌にしたいという望みをもっています。

 

喜びの花が咲き乱れるように

伊藤恭 作詞

(1)

あなたは ひとりでは、生きていけない。
あなたは ひとりで、生きてはならない。
あなたと人とが、優しさでつながって、喜びの花を咲かせたならば
今までにない能力(ちから)が、あなたに生まれることだろう。

優しさを、分けてあげよう。他人(ひと)を幸せにしてあげよう。
他人を幸せにしたら、あなたの心に誇りが生まれるだろう。
その誇りは、あなたを強く美しくする糧となり
あなたの心を輝かせるだろう。あなたの心は磨かれるだろう。

優しさが、あなたの人生を変えるだろう。
優しさをつなごう。優しさの輪を世界中にひろげよう。

あなたから始めよう、優しさの連鎖(つながり)。
優しさが世界を輝かせて、喜びの花が咲き乱れるように。

(2)

あなたは あなただけの あなたではない。
あなたは 多くの人に つながっている。
あなたと人とが、思いやりでつながって、心を一つに合わせたならば
今までにない喜びが、あなたを強く包むことだろう。

思いやりを分けてあげよう。他人(ひと)を幸せにしてあげよう。
他人を幸せにしたら、あなたの心に誇りが生まれるだろう。
その誇りは、あなたを強く美しくする糧となり
あなたの心を輝かせるだろう。あなたの心は磨かれるだろう。
思いやりが、あなたの人生を変えるだろう。
思いやりをつなごう。思いやりの輪を世界中にひろげよう。

あなたから始めよう、思いやりの連鎖(つながり)。
思いやりが世界を輝かせて、喜びの花が咲き乱れるように。

読み書き計算などは、教室に行って他の人に教えてもらわなくても、保護者でも教えられます。教室側は、保護者の代わりに時間をサービスしているとでも考えているのでしょうか。

学校教育も、そのレベルのものと思われているとしたら、学校側の怠慢というしかありません。文部科学省も学校も教師も、教育とは、人間創りなのだということを社会に示すべきなのではありませんか。

ピグマリオンに通ってこられる保護者の方々のほとんどは、心から子どもの能力の向上を願う人々です。読み書き計算以上の高い能力の育成、穏やかな性格の獲得や素晴らしい人生を生きることを、心から望む人々です。

教育をサービス業と同列に扱わない、本物の教育を求める人です。

ピグマリオン教育の存在意義は、人間性=社会性の習得というところにあることを理解していてくださるものと確信しています。

このような教育があるのだ、目からウロコだ、このような教育を求めていたと、いってくださる人々が多くいることが何よりの証明です。

教育の醍醐味は、それを受けた生徒が、劇的に変わるところにあります。成績だけでなく、人間性や人生が変わっていくのです。

高校入試・大学入試より断然難しいといわれる日本最難関中学の灘中に、ダントツの日本1位の合格実績を誇る浜学園の、幼児教育部門『ハマキッズ・オルパスクラブ』は、ピグマリオン教育が全面的に採用されたものですが、ハマキッズ・オルパスクラブの卒業生の平均偏差値が60以上(浜公開模擬テスト)という驚異的な実績をあげています。

これによって、ピグマリオン教育が、多くの人に対して最も効果的に高い能力を育む教育カリキュラムであることが実証されたのです。

また、ピグマリオン教育の1部である思考力育成プログラムの2本柱の1つである『パズル道場』が、北海道から沖縄まで700教室以上の会場を持ち1万数千人の生徒を持つようになったことも、ピグマリオン教育が塾教育業界においても、教育の現状打破に有効であることを実証していると言えるでしょう。

大手の学習塾経営者のほとんどが、教育を平気でサービス業といって憚らないこの現状。現在の資本主義経済下においては、教師や塾経営者や保護者に限らず政治家などもそのようにしか考えられないのでしょうけれども、教育産業がサービス産業と同列にしか考えられない方は、もう一度よく考えて頂きたいものです。彼らは、本当に必要な教育を自ら与えられないので、社会を混乱させる原因にもなっているからです。

そう考える人々は、きっと、読み書き計算が教育の目的と考えていて、音楽や運動やおけいこ事のレッスンのように、技術の習得が教育目的と考えて、サービス業と思っているのでしょう。

公文や百マス計算や漢字検定や暗記が能力と考えている頭のトレーニングDSなどが流行るのは、子どもの教育をおけいこ事と同列にしか考えられない現れです。しかしながら、それらはサービス産業ではありません。

サービス産業は、客に奉仕するものですが、子どもの知性や人間性を育てられない学習塾や学校は、子どもや保護者にサービスしたことにならないからです。その教育が本当に子どものためになったのなら、それは大きな意味でサービス産業と呼んでよいのかもしれませんが。

ただ、サービス業と同列だと考えられた教育は、子どもの知性や人間性習得の害になり、人生を混乱させるのです。教育がサービス業と思っている保護者も、おけいこ事と子どもの教育を同列において、金を払っているのに文句を言うなという考えと態度を見せるのです。恥ずかしい限りではありませんか?

学校に対してモンスターピアレンツが取る態度も、同じ考えの中にあると思われます。学校の先生を、他の産業の従事者と同列の労働者としか考えられない社会も、学校教育をサービス産業と考えているようです。

本当に、そんな考えでよいのでしょうか。

教えて覚えさせるのが、解答能力。学ばせて育てるのが、解決能力。
(ピグマリオンの教育は解決能力を育てる教育です。)

学校の点数をよくするための勉強は、解答能力で十分ですが、解答能力は暗記中心の低い能力なので、練習しなければ忘れてしまうし、非日常的なものなので、生活や人生を豊かにすることにほとんど役立ちません。

解答能力は、対象が狭く限定的なもので、他のものに応用がきくことは少なく、新たなものを解決するときの役に立ちません。

 

たとえば、10までの数を指導して、テストして満点を取ったとしても、次の段階の11~20を指導してすぐ理解する子は、10までの数の指導で解決能力、数論理能力を育んだ子どもといえます。

それに対して、新しいもの・はじめてのものだからわからないと考えない子どもは、10までの数の指導で解答能力だけを覚えた子どもです。手で数える子ども、数唱の子どもには、解答能力しかつきません。

 

解答能力は、テストに役立つだけであり、解決能力は、テストだけでなく、次の段階の学習にも、生活にも人生にも役立つものです。

解答能力は部分的であり、全体的な視野を持つものではなく、本質的な解決能力とは別のもので、技術的なものに過ぎません。

だから、解答能力は知性でも、思考力でもありません。

ほとんどの人が、子どもたちに数を教えるとき、計数(数を数える)と数唱(数を1,2,3,……と小さい順番に唱える)から始めています。

この考えは、数の最初の形は順序数だという考えに基づいたもので、昭和十年までの算数を算術と呼んでいた頃の国定教科書は、この指導方法でした。しかしながら、それ以後も根本的には、今現在もこの考えに毒されたままです。この指導方法は、神経生理学者ヘルムホルツの、数は神が作ったもので、数の出発点は意識の流れの中にあるという主張によってはじまり、数学者クロネッカーによって発展させられた考えが基です。

それが数学教育界に導入されて数え主義的教育方法を生んだのですが、数概念が数を唱えて養われるということは、数の基盤ができてからしか可能ではないので、数を唱えても、数概念が生まれるはずはありません。

だから、順序数として数を覚え込ませ、それを1対1対応させてみても、数の多少の理解や数の概念ができるはずはないのです。

そればかりか、数の個としてのみ理解させる方法は、現実の数存在の事実を無視することになりますので、数をわかりにくいものにしています。

この数唱主義的方法は、九九の暗記、公式の暗記、解答方法の暗記、解法テクニックの暗記など、上意下達的な考えないで覚え込ませるというプロシアの富国強兵の国家施策、軍国主義とあいまって、考えない臣民づくりに大いに貢献したのです。それをそっくりそのまま明治政府が取り入れたのです。

考えない人間をつくるための方法が、これからの日本や人類に必要とは思われません。人類の知性の発達の順番に即した、本物の解決能力を育むピグマリオンの<シンキング算数教室>を、中学校受験をしない大多数の幼児・小学生のために2011年春より全国に開講します。