2010年6月アーカイブ

教えて覚えさせるのが、解答能力。学ばせて育てるのが、解決能力。
(ピグマリオンの教育は解決能力を育てる教育です。)

学校の点数をよくするための勉強は、解答能力で十分ですが、解答能力は暗記中心の低い能力なので、練習しなければ忘れてしまうし、非日常的なものなので、生活や人生を豊かにすることにほとんど役立ちません。

解答能力は、対象が狭く限定的なもので、他のものに応用がきくことは少なく、新たなものを解決するときの役に立ちません。

 

たとえば、10までの数を指導して、テストして満点を取ったとしても、次の段階の11~20を指導してすぐ理解する子は、10までの数の指導で解決能力、数論理能力を育んだ子どもといえます。

それに対して、新しいもの・はじめてのものだからわからないと考えない子どもは、10までの数の指導で解答能力だけを覚えた子どもです。手で数える子ども、数唱の子どもには、解答能力しかつきません。

 

解答能力は、テストに役立つだけであり、解決能力は、テストだけでなく、次の段階の学習にも、生活にも人生にも役立つものです。

解答能力は部分的であり、全体的な視野を持つものではなく、本質的な解決能力とは別のもので、技術的なものに過ぎません。

だから、解答能力は知性でも、思考力でもありません。

ほとんどの人が、子どもたちに数を教えるとき、計数(数を数える)と数唱(数を1,2,3,……と小さい順番に唱える)から始めています。

この考えは、数の最初の形は順序数だという考えに基づいたもので、昭和十年までの算数を算術と呼んでいた頃の国定教科書は、この指導方法でした。しかしながら、それ以後も根本的には、今現在もこの考えに毒されたままです。この指導方法は、神経生理学者ヘルムホルツの、数は神が作ったもので、数の出発点は意識の流れの中にあるという主張によってはじまり、数学者クロネッカーによって発展させられた考えが基です。

それが数学教育界に導入されて数え主義的教育方法を生んだのですが、数概念が数を唱えて養われるということは、数の基盤ができてからしか可能ではないので、数を唱えても、数概念が生まれるはずはありません。

だから、順序数として数を覚え込ませ、それを1対1対応させてみても、数の多少の理解や数の概念ができるはずはないのです。

そればかりか、数の個としてのみ理解させる方法は、現実の数存在の事実を無視することになりますので、数をわかりにくいものにしています。

この数唱主義的方法は、九九の暗記、公式の暗記、解答方法の暗記、解法テクニックの暗記など、上意下達的な考えないで覚え込ませるというプロシアの富国強兵の国家施策、軍国主義とあいまって、考えない臣民づくりに大いに貢献したのです。それをそっくりそのまま明治政府が取り入れたのです。

考えない人間をつくるための方法が、これからの日本や人類に必要とは思われません。人類の知性の発達の順番に即した、本物の解決能力を育むピグマリオンの<シンキング算数教室>を、中学校受験をしない大多数の幼児・小学生のために2011年春より全国に開講します。

算数ができないのは、指導方法が間違っているからです。

数量は、数と量の2つのものではなくて、数量という1つの概念です。

数え主義的算数教育は、数を数えられる個数としてしか理解させないため、数量感覚を低いレベルに固定します。
ソロバンも、位置としてしか数の多少を意識させないのみか、時間や角度や分数に対してお手上げです。

筆算も所詮はペーパー算盤であり、現実にはあまり役に立ちません。買い物のとき、いちいち筆算したり、算盤を利用したりする人を見ませんでしょう。数唱や百マス計算など、量として数を学ばせることができない算数も現実を理解する力を育てることはできません。数唱という1がだんだん増えていくだけの数量感で、時間を1秒の集まりとしてのみとらえると、1時間が3600秒、1日が86400秒になりますが、年、月、1週間、1日、午前、午後、1時間、1分という考えを入れたほうが、社会生活を営むには断然便利です。

「数学の諸形式は、現実の法則からでてきたものである。数理の世界というものが先験的にあって、それが天下ってくるものではない。<略>現実に生活しているこどもの考えが、どのように科学に高まっていくことができるか、それを明らかにしていくことが、教育の体系なのである。それは、歴史の中で紆余曲折があったとはいえ、人間が科学を獲得してきたみちすじである。」

森毅著『数学的思考』(講談社学術文庫)

口舌の人、知識しかもたない人から学ぶべからずという言葉があります。

自分自身の力で学ぶことが、いかに大切かということを私たちの先達が口を酸っぱくなるほどいっているにもかかわらず、知識と技術のみを目的とした教育が横行しているのは悲しみを通り越して怒りさえ覚えます。

自らの力で学べない人は、精神的に自立していないので、だれかに何かに頼っているので、頼っているものへ責任を転嫁します。

判断停止・責任逃れによって、自分をいつまでも変える努力をしない人間の何と多いことか・知性は自立した精神の中でしか育たないので、知性を使う事なく、感情的・刹那的に生き、社会にも、他人にも、家族にも、自分自身にも迷惑な生き方しかできない。


「人間は、やっぱり、この二本の足で、大地を踏みしめないと
育つものも育たないかもしれないぞ」
小林多喜二の言葉、三浦綾子『母』(角川文庫)より
 
「教えられたことを、忘れないようにくり返し覚えて、
一生懸命、解答方法を暗記するのではなく、
自らが考え・観察して、自分自身で見守り耳を傾けることによって、
学び始めたならば、
今の人間とは違った種類の人間ー
思いやりがあって愛情深く、人々を愛する人間に成長するだろう」
 J・クリシュナムルティ『英知の教育』(春秋社)より