算数ができないのは、指導方法が間違っているからです。
数量は、数と量の2つのものではなくて、数量という1つの概念です。
数え主義的算数教育は、数を数えられる個数としてしか理解させないため、数量感覚を低いレベルに固定します。
ソロバンも、位置としてしか数の多少を意識させないのみか、時間や角度や分数に対してお手上げです。
筆算も所詮はペーパー算盤であり、現実にはあまり役に立ちません。買い物のとき、いちいち筆算したり、算盤を利用したりする人を見ませんでしょう。数唱や百マス計算など、量として数を学ばせることができない算数も現実を理解する力を育てることはできません。数唱という1がだんだん増えていくだけの数量感で、時間を1秒の集まりとしてのみとらえると、1時間が3600秒、1日が86400秒になりますが、年、月、1週間、1日、午前、午後、1時間、1分という考えを入れたほうが、社会生活を営むには断然便利です。
「数学の諸形式は、現実の法則からでてきたものである。数理の世界というものが先験的にあって、それが天下ってくるものではない。<略>現実に生活しているこどもの考えが、どのように科学に高まっていくことができるか、それを明らかにしていくことが、教育の体系なのである。それは、歴史の中で紆余曲折があったとはいえ、人間が科学を獲得してきたみちすじである。」
森毅著『数学的思考』(講談社学術文庫)


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