2011年11月アーカイブ

能力は学ぶことでしか生まれないということを、インド生まれの世界的思想家クリシュナムルティは何度も説きました。しかし、クリシュナムルティ学校であっても、学ばせるための方法は教師に委ねられ、精神論的なレベルに陥りがちでした。

フィンランドの教育改革の成功が教えるように、優秀な教師に代えることによって、教育効果は飛躍的に向上します。とはいえ、最終的に教育の方法が各教師の力量に委ねられるにしろ、教師個々人のレベルを超える教授方法の研究が必要です。

ここに、ピグマリオン幼児学育の歴史的な意義や存在理由があると言えるでしょう。まだまだ不十分ですが、学びの順番と方法へのアプローチを、世界で初めてカリキュラム化しているからです。

ピグマリオン学育から後の教育は、知性の発達の歴史的・生理的順番を考慮し、最も適切なカリキュラムや教材、教具を用意する必要があります。

教科教育の前に、学校教育の前に、思考力を育て上げるピグマリオン幼児学育を無視して、国民の権利たる教育の保障はなしえないということがわからなければ、国や自治体は義務を果たせません。

幼児期に思考力学育を行い、子どもの発達権、生存権、幸福追求権を保障する環境を用意することが、公僕の最大の仕事であると信じています。

戦後「教育基本法」によって、子どもの発達権、生存権、幸福追求権が保障されました。しかし、教師たちは戦前と同様で、入れ替わることはありませんでした。

戦前の教師は当然「教育基本法」を知らず、少国民の錬成だけを目的とし、「読み書き計算」レベルの指導方法しか持ちませんでしたが、その教師たちに戦後の教育を受け持たせた結果、能力を発達させられない人間、他人の生存を脅かす人間、自分の幸福のみを追求する自己中心的な人間が生み出されることになったのです。

このような教師たちは、法律違反をしていると言えるでしょう。また、子どもたちにそのような教育制度しか与えられない政治家、官僚、市町村の首長や職員たちも、「教育基本法」に違反しているということを忘れてはいけないのです。

そして、「教える」という方法も同様に、教育をおかしくしてきた元凶です。アラ探しをして自分の思い通りに罰を与えるという高圧的で傲慢な態度、戦前のファシズム国家の教師と同様の態度で教育を行うという方法によって、今もまた昔と同様に子どもたちの人間性を失わせているのだということを理解するべきです。

「教える」という方法は、人を育てるという本来の教育目的とは相容れません。人間性を失わせ、刹那的で自己中心的な人間を育てるのみだということを、心静かにして見極める必要があるでしょう。

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戦前までの教育は、個人の人格の育成が目的とされることはありませんでした。しかし、明治維新以降、教育は義務とされ、富国強兵政策の一翼を担わされました。満州事変以降のファシズム軍国体制においては、少国民を練成することが教育の目的になりました。完全に国家に奉仕する人間の育成です。

しかし、戦後の民主主義教育、ヒューマニズム教育によって、教育は義務から権利になりました。戦後に制定された「教育基本法」によって、教育は国民の権利となったのです。これは、能力の発達権、生存権、幸福追求権を持つ子どもの、教育を受ける権利が国によって保障されたということになります。

簡単な教育の歴史(1) 教育の目的

貴族制、封建制、絶対王制、ファシズム体制など、時々の国の体制に役立つような形で、国民や領民に対する教育が与えられてきました。しかし、上記の流れを引きずるこれまでの教育では、社会も大多数の個人も決して幸せにはなれないということを歴史が証明してきました。

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市民革命以降、個人の知性や人格を育てることが教育の目的とされるようになり、そこで初めてどうすれば知性が育つかということを模索するようになりました。

 

知識を多量に持てば知性が育つと考えた啓蒙思想家、百科全書派。知性を育てるのは環境であると考えた、ルソー、ペスタロッチ、オーエンたち。フレーベルやデューイやソ連の教育者たちを経ても、まだ知性を育てることに関する明確な考えと方法が固まりませんでした

 

時を経て、現在の日本では、教育の目的は高い能力を個々人に育てることだと、戦後制定された「教育基本法」によって銘記されるに至りました。

高い能力の獲得、能力の発達によって素晴らしい人生を送る権利、つまり社会や国家に貢献しながら自らの幸福を追求する権利が、教育によって保障されるということになりました。