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ピグマリオン学育を中学受験生以外にも指導してほしいという要望に応えるために、「ピグマリオンぷち」教室を全国展開します。

ピグマリオンの普及版「ピグマリオンぷち」教室を、本格的に展開することに決定しました。栃木県では40ヶ所以上の幼稚園・保育園の放課後教室でのぷち教室の開校が決まっており、すでに20教室以上が指導をはじめています。
シンキング五月ヶ丘教室も、「ピグマリオンぷち/五月ヶ丘教室」に名称変更するとともに、年少下(2才児)からのコースも開講します。その他、静岡県藤枝市、愛知県一宮市、大阪府池田市、大阪府天王寺区、沖縄県にも教室が開設され、指導が始まっているところもあります。

本格的に関東地方での展開のため、東京にも「ピグマリオンぷち」の直営教室を開校する予定で、場所を7月から借りましたが(江戸川区東葛西)、インターネットを立ち上げたとたんに入会申し込みがあり、入会されました。入会されたお母さんの入会理由が、今までに無いものでした。
つまり、最大手の計算塾Kを自分が習わされて辛く苦しいものだったので、子どもには絶対に習わせたくないので、こんな教育があることにほっとしたということでした。

K式の計算中心の教育を受けた子どもたちは、保護者が計算力が十分以上についていると思っていても、ピグマリオン本部教室に見学・模擬レッスンを受けにきたとき、騒がしく、性格が悪く、図形・空間能力や思考力などの知性がほとんど育っていないものばかりです。

ピグマリオン学育を中学受験生以外にも指導するため、「ピグマリオンぷち」教室を全国展開する理由が、学校教育の先取り教育や、能力育成を考えない知識と技術の教育の幼児教育からの撲滅です。 

■ピグマリオンぷちのホームページはこちら!
http://pp.lk

教えるには3倍の能力があればよいが、学ばせるには10倍以上の能力が必要だという、中国のことわざがあります。

学ばせるということは、考えさせるということです。暗記する・覚えることは、考えないということです。考えない人に・考えた経験がない人に、考える力が育つことはありません。

ところで、考えることは楽しいですが、教えられて・覚えることは苦痛です。楽しい時こそ学ぶという経験が皆さんもありませんか。教育は、楽しい方が良いに決まっています。以前、百点満点で1桁しかとれない小学生や中学生を指導したことがありますが、夢中になって大人ができないような思考力育成問題を解きました。考えるということを開放すると、幼児や勉強ができない子どもたちも、学び始めます。

ここで、多くの人が勘違いしていることについて説明しておきます。

ここに、10の指導のうち3ができた生徒がいたとします。

これを、10の内3しか覚えなかったと思うのか、10の内3も学んだと思うのか?ここに指導者の心が見えます。教えること・覚えることが教育だと思う人は、10教えたのに3しか学べなかったというふうに考えます。たるんでいると考え、不足を嘆き、蔑視し、叱ります。そのようなことを目の前で自分に対してされて良い気持ちは誰もしません。豊かな人間関係は育ちようがありません。

ところで、生徒のほうは、分からなかった7についての自覚がないのです。生徒側は、学んだことが教えられたことの全てとしてしか理解できないのです。だから、責められると、苛められていると感じます。

学んだ3だけをほめるのが、ぷち学育の方法です。学び考えたことを評価されることによって、自信が生まれます。指導者に対して信頼と愛着が生まれるでしょう。私の学育方法で学んだ親子がともに優しく賢くなるのは、そのせいです。子どもを叱らなくて済むようになり、親子関係が改善します。保護者はそのことをとても喜んでくれます。学ぶことによって、高い思考力を育てる教育こそが、百点満点の教育です。

■ピグマリオンぷちのホームページはこちら!
http://pp.lk

分断して、説明されると、全体が見えません。全体把握能力の欠如は、部分的にしか考えられない思考力を育てます。部分の総合が全体ではないからです。全体なくして部分などないので、部分の関係が見えないのです。

私は目が悪いのですが、最近、眼鏡を代えに行ってこんな経験をしました。右目が0.8、左目が0.9でも、両目で見れば、1.1や1.2になることをです。よく右脳とか左脳とか言いますが、脳は両方があってより高度に働くもの。右手と左手とかも、対になっていることによって、一方では決してできない高度なことができるのです。思考も、1次元的ではなく、2次元的に、それより3次元的にすることです。それは、3つの事を同時に全てを無視せずに、全てが生き生きとするように思考することです。

ピグマリオン教育に、3次元空間把握能力を育成するプリント学材が多くあるのは、思考力に全体性を持たせるためなのです。

教育の内容も酷いものですが、方法はそれに劣らず酷いものです。

人間への教育は、素敵な人間を創るためですが、まったく、素敵な人間になれないようにするための方法だと言い切れるからです。

それは、どんな方法なのでしょう。それは、内容を分断して、説明し教えるという方法です。分断することの非は、後で説明します。

まず、教育といえば、<教えること>だと、誰もが考えていますね。

本来、教えることができるのは、神だけができることです。神は正義を独占しているので、命令に服従しないとバチと罰を与えるでしょう。

教えようとする人間は、子どもや部下などに対して、言うことを聞かないと(命令に服従しないと)、~を買ってあげないとか、どこそこへ行かないとか、給与を下げるとか、大声を出して脅すとか、殴るとかしますね。

あれは、罰を与えているのです。神になってしまっているのです。

神は人間でないので非人間的です。非情です。戦前の教師のように御真影をバックにして、神と王の代理者として、生徒を教える。ここでの教えるとは、命令に従わせること。自分は反省せずに、相手にだけ反省をせまること。命令に従わなければ、バチや罰を与えること。相手を蔑視すること。少しでも欠点を見つけて、苛めることです。

ここにあるのは、物の位置関係である上下関係であって、同じ社会の構成員として対等の関係である、人間関係とは程遠いものがあります。

このような人間を好きになれますか。友人や配偶者にしたいですか。このような教育方法では、高い人間性が育つことなどありません。物の関係の中で育つのは、物の心だけです。高い人間性は、愛情深い人間関係の中だけで育ちます。

流行っているのは、学校教育と同じ内容のもので、学校教育の先取りか、徹底化されたものです。高い質のものなどなく、学校教育の補完物にすぎません。10年毎の文部科学省の学習内容の見直しも、内容の質的変化はなく、この10数年で量を2年分減少させただけです。

笑ってしまいませんか。対策を講じるのに、量を減らすなどという方法を実行する知的レベルを。根本的な解決策は、質を変えることなしではありえないと思いませんか

もうそろそろ、気づいても良いのではないでしょうか。今までの教育は、明治政府が同じ歴史的環境にあったプロシア(ドイツ)を真似て、民族を守るための対策として作ったものであり、明治の学制は、もう歴史的意義を終えており、それは、役立たなくなっているばかりでなく、邪魔であり、人間性作りの足カセになっているという事実を。

過去を咎めたいわけではありません。何にも考えない、何も考えてはいけない人間である兵隊を作るための、良き殺人兵器になるための、低い知恵・頭・能力・心しか持たない人間を作ることは、もう止めにしたらどうですかといいたいだけです。

考えない人間作りの目的は十分に達成されて、何千万人もの人間を戦争で犠牲にしました。愚かさ・悲惨さ・怒りが、今もって充満しております。

考えられない人間は、やさしさを持たず思いやりも持たず社会性も知性も低いままです。考えられない人間に自由を与えると、何をして良いかわからなくなるでしょう。退屈なので、時間つぶしにテレビ・DS・携帯電話のゲームと、パチンコ・競馬・競輪などの賭博、果ては野球賭博までをする羽目に陥ります。どう考えて・どう行動してよいかわからないのです。

刺激や娯楽がないと時間をつぶすことができなくなるのです。以上が、美辞麗句で誤魔化したとしても、今までの教育の結果であり、教育が目ざしたものだと言えるでしょう。

胎児からの教育、0歳児からの教育、乳児教育、幼児教育、計算教室などと、2~30年前、40年前に比べて何と多くの民間教育機関があることでしょう。教育を受ける機会が格段に多くなっているのに拘らず、学力は低下する一方です。精神性は劣化する一方です。もう、どうして良いかわからない状態だと申してもいいのではないでしょうか。

この現実は、何がもたらしたと考えるべきでしょうか。私は、教える・覚える教育法の結果だと考えます。<読み・書き・計算>という知識と技術中心の教育内容を教え込んで、教えた通りに機械のように正確に答えさせるという、人間の機械化教育。

機械のように自らの仕事を上から命令通りにするという訓練は、自らの力で、問題を解決することがないので、問題解決能力がつくことはありません。問題解決能力が低い人間は、自立した能力が低レベルなので社会性も精神性も低いのです。いくら計算教室や漢字検定が流行っても、学力が向上することはありません。<読み・書き・計算>レベルの内容と方法の民間教育機関が、流行れば流行るほど、<読み・書き・計算>教育の徹底化が進むことになり、知性も人間力も急速に低下する一方となるでしょう。

言語教育の方法

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知能は、環境が作り出す刺激に対する反射が反応となり、対応となり、能力へと育成され形成されたものです。生きたいという生存本能が、環境から与えられる刺激に出会うことによって、生存能力へと成長するのです。

人間は、生れ落ちた環境に最も適応する能力を持った動物です。

普通ならば、誕生から1年もの間、移動すること(歩くこと)も、自分で餌を取ることもできないようでは、滅びてしまうことでしょう。

しかしながら、人間は、生れ落ちてから、その環境に最もあった成長を遂げるのです。例えば、インドで狼に育てられた2人の少女、アマラとカマラのように、狼が育てれば、ほとんど狼のようになることも可能なのです。彼女たちは、犬のように這いつくばって食事をし、夜になると遠吠えをしました。体毛も密生し、言葉は一言も話せませんし、聞き分けられませんでした。普通ならば、3歳児前後で、800~1000語の言葉がわかると言われていますが、年長のほうの少女は、十年かかって数十語の言葉だけが、やっとわかっただけということです。

 

ところで、言葉は、人間と他の動物を分けるもっとも大きな特色です。言葉なしでは、現状把握・意思の伝達・思考・記録などができません。

言葉無くして、文明も文化も、良い社会も、日々の生活もありえないといえます。言葉は、社会生活を営む人間には不可欠なものです。言葉によって人間関係をつくり深めていくのです。

能力は、すべて、必要があって育成されていくものです。話しかけられ、その働きかけに答えようという意欲が出てきて初めて、聞く能力が出てき、話す能力ができるのです。その意味で、<言葉を聞くこと>が、言葉の学習の第一歩となります。ことばを使う生活を多くすることが、言語能力を育成する根本になります。

今までの、言語教育は、国語教育にしても、英語教育にしても、文字⇒単語⇒文節⇒文⇒文章という順序で指導されてきました。その結果、言語能力が、さっぱりつかないという結果があらわれています。中学校・高校の6年間の英語教育によって、何人の人が英語を話すようになったでしょう。何もわからない幼児が、6年間で、ほとんどの者が、言葉を話せるようになるのに、中学生・高校生にもなって、6年間もかけて、それも一生懸命勉強しても、ほとんどのものが話せないのです。(小学校の国語教育も、同様の言語教育方法ですので、ほとんど国語力がついていないであろうことが、想像できるでしょう。)

これは、まさしく方法の問題なのです。言葉は、音や文字に意味があるのでなく、そのつながり方でもなく、その内容に意味があるのです。そのことは、同じ音や文字のつながりでも、意味するところが全く違うことによっても理解できることでしょう。

文字を覚えれば、文が理解できるというわけではないように、単語を覚えても、文は理解できないのは、少し考えればわかることではないでしょうか。

私たちは、英語ができないのは頭が悪いからか、努力が足りないからと思ってきました。それならば、英語を話せる外人は幼児でも、頭が良いのでしょうか。また、日本人は、中学生以上になると、ほとんどが頭が悪くなるのでしょうか。そうではないのです。これは、学習方法の間違いなのです。幼児が言語を習得したように、言語を学習すればよいのです。

まず、言語は、意味を伝えることから始めることです。そして、事物を正確に、言語的にとらえ、表現することも大切です。それらが十分に発達し出したら、4~5歳児ころには、今までの音声言語を文字言語に置き換えることも、言語能力を高めるには、有益でしょう。

本が読めるようになったら、自分で、望むままに読ませて下さい。能力は、全開することによって、成長していくものです。本を読む場合も、自分で読むことによって、自分の能力のすべてを使って理解しようということになります。読んで聞かせて、説明を加えて、それを覚えさせるようなことはしないでください。

幼児の言語教育

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生まれて3年もたちますと、何とか意思伝達ができるようになりますし、5年もたちますと表面的には、言語的にしっかりしたようなことを言いますので、大人たちは、子どもは言葉の意味が分かって使っているのだと、考えがちです。

しかし、理科系の博士号は20才台でも取れますが、文学博士は、50~70才台にならないと取れません。言語関係での成熟はひどく遅いのです。ピグマリオンでも、年長児~小1で、小3程度の数能力や思考力を育てる生徒は稀ではありませんが、言語能力の育成は、そうはまいりません。

幼児期においては、言語能力の前提である数学的思考力(空間・図形・数理論)を育てることが、言語能力育成の近道です。

 

だからといって、何もしないでいいというのではないのです。

幼児期にする・できる言語能力の育成には注意が必要なのです。

言語能力が、コミュニケーション能力だということは、ご存じですね。

ただ、何とどのようにコミュニケーションするかですが、私は、

①物との対話(コミュニケーション)

②人との対話

③社会との対話

という3段階に分けて考えています。

①の、物との対話とは、物の名前がわかる・言えるという段階です。

だから、テレビ・テーブル・イスなどの身の回りのもの、体の部位、動植物の名前、自然現象などを言葉で表現する段階です。

ここでは、思考はいりません。ただ、知識を覚えるだけです。

②の、人との対話とは、要するに会話です。あいさつやお話を仲良くする言語能力です。ここでも、思考はいりません。

①②までの言語能力なら、知性など育ちようがありません。犯罪者レベルの人間性の持ち主も、通知票が1の人にも、可能なレベルなのです。犬や鳥や猿が人間と意思疎通できるようにみえる芸などもこの範囲です。これが言語能力のすべてなら困ります。

言語能力とは、③のレベルになって初めて、人間能力と言えるものです。

社会との対話とは、思考する言語能力と言うべきものです。

人として立派であるために、自分は社会的にどのような生き方をしていったらよいのかと考える言語能力です。現に生きている人とだけでなく、過去の人と残された著作物や生き様と対話したり、未来の理想的な社会を考え、あるべき生き方や考えと自分が対話する言語能力が、本当の言語能力と言えましょう。判断したり解決したり創造したりする言語能力です。

 

①②③の言語能力は、当たり前なのですが、面白いことに空間能力や社会性と無関係ではありません。

①の言語能力は、空間能力としては一次元。社会性としては自己中心的性格です。犯罪者が、自分のことしか語らない・語れないのをご存じでしょう。自分以外のものの全てが物なのです。

②の言語能力は、空間能力としては二次元。社会性としては、まだまだ未熟なレベルの、自分の目の前の人しか知的視野に入らない状態と言えます。電車の中で、楽しくしているが他人に迷惑をかけているような親子。自分たちさえよければよいのだという言動をする人々の社会性は、①でなければ②です。彼らは、会話や対話でごまかそうとします。

③の言語能力の基礎に、①②の言語能力はあるのですが、①⇒②⇒③の順番に完成するとしても、①ができてから②、②ができてから③というように指導してはなりません。

幼児においては、①②③を同時に指導する必要があります。

4月29日に、私が顧問をしていてピグマリオンメソッドを全面的に取り入れた幼児教室、浜学園(灘中合格者数日本一。今年は灘の合格者数が92名となり、50%を越えました。)の幼児教育部門はまキッズオルパスクラブの5周年記念パーティがありました。その席で生徒数がついにピグマリオンの直営教室(江坂教室と苦楽園教室)と合わせて、1000名を越えることがわかりました。はまキッズの卒業生の小3~小6の平均偏差値が60を越えるという結果については、2~3年前から聞いていましたが、生徒数もどんどんと増えているのですね。

 

ピグマリオンの、もっとも適した時期に最高の指導をして、可能なかぎり高い能力を育成するという考え方とカリキュラムが、最難関の中学受験にも役立っていることがいよいよ明確になってくることでしょう。

 

これからは、はまキッズの教室(現在10教室)において、最高レベルの能力育成が行われ続けていけば、ピグマリオンメソッドの有用性が証明され続けることとなりましょう。

最高レベルの能力づくりの方法が完成しましたので、学校教育レベルの能力を確実に育てる、ピグマリオンぷちと名づけた教室をこれからは展開します。教育内容の質を落とすのではなく、時間の長さを倍にした、学費を1/4程度にした教室です。もちろん、学校教育の目的を、学校教育とは違った方法と考え方で達成するピグマリオンメソッドの教室です。

さくらFMという西宮のラジオ放送局で、5月5日木曜日の朝の7時30分から8時までの30分間、『伊藤恭と輝く瞳たち―明日に向かって』というラジオ番組がはじまります。

この番組は、これから毎週木曜日の同時間に、ずっと放送されます。

浜村淳さんに負けない長寿番組をねらっています。インターネットでも見れるそうです。アクセスしてください。インターネットでは、声だけでなく、テレビのように映像も見れます。

司会は、パーソナリティの増井孝子さん。私・伊藤が中心の番組で、各界で活躍する人をゲストに招きお話するコーナーがメインとなります。

その他、女優の鮎川いづみさんと、私が作詞した『喜びの花が咲き乱れるように』を作曲した當馬健司くんが、レギュラー出演します。

 

色々な方とお話して、色々と学びたいと思っています。

一度、アクセスしてください。色々な私の側面が見れますよ。